いい仕事しましたね

いい仕事しましたね!(^^)!

「キャッシュフローのお話をしましたら、社長から車購入とか控えなければ…と話されました。」

良い返答をいただきましたね。お疲れ様!


当社スタッフは毎日のお客様訪問後、
サイボウズシステムでの報告書をあげてくれます。

自分の不得手な質問をお客様からいただいたら、


「私よりも的確に回答できる当社の〇〇〇から、明日、
 回答させますので、それでよろしいでしょうか?」
 

と窓口担当者としての務めを果たすことが
当社のルールです。


翌日、〇〇〇さんは、その後の顛末をアップし、
情報を関係者で共有します。

すべてのお客様に、
担当者の個人的レベルの制約を超えて、
当社の最良のサービスを
チームで提供する社風が根付いて20年余になります。

経営環境激変の摂理

私達人間が生きてそれぞれに好きなこと、
したいことをするだけで、
周りの人々と諸環境に様々な影響を与え、
自分自身も数億人の人々の動向の影響を受け、
想いもよらない不本意な大河に流され、突き動かされる。
様々な人々が自分達が産み出した激流に翻弄され、
わけがわからないままに多くの人々が
うろたえ、戸惑い、ぶつかり合い、
阿鼻叫喚の抗争と混迷に生きている。
あらゆるものが変化し流転する激動の世界に
私達は生きている事実・こうした激変を、
素直にあるがままに受け容れることが
煩悩を超えて、賢明に、
しなやかに生き抜くための出発点となる。
企業をより良く経営するには、
「 経営 」の意味を掘り下げる必要がある。
経( = 物事の根本的な法則 )を正しく認識し、
営( =人々に有用な商品とサービスを供給する)営む
価値観・哲学を育む必要がある。
経営環境がどのように変化しているか、
私達はどのような関係性に在るかを認識する。( 経 )
与えられた条件下でどのような役割を
果たすことが求められているか
自社の役割と使命を明らかにして、
自社の業務領域と商品・サービスを
組織的に展開し営む。( 営 )
「 儲かるから、やりたいから、大きくなりたいから 」
というレベルを超えて、
経営者が、経営環境激変の摂理 ( 経 )を認識し、
人々の阿鼻叫喚を解決する有意な
商品・サービスを供給する営みを
「経営」と自覚する使命感を育み、
道なき道を歩み出すとき、
その人を慕い、同じ道を歩もうとする
後継者が次々と生まれるであろう。

仕事の説明を受ける

スタッフに分担してもらった仕事の説明を受ける。

「あぁ! 私のレベルをはるかに超えて進んでいる!
お客様へのプレゼンテーションもクロージングも、
この部下にしてもらった方が、お客様にとって有益だ!
各業務領域で私を超えるスタッフが幾人も育っている!」

私は本当に幸せ者だとの感慨がひたひたと押し寄せて来る。

異なるものを許し合い、学び合い、人間の世界への扉を開く

異なるものを許し合い、学び合い、人間の世界への扉を開く
1)1人の人間の心中でさえ
喜怒哀楽の出来事や気候変動や心身の体調によって
異常と正常の振幅を揺れ動き、様々な状況を顕す。
功名心や自己防衛の本能に突き動かされている。
2)混乱の中で
私達は目印に成るもの、信じられるものを探さずには、
平常心を保てない。
緯度と経度の概念を編み出すことで地理学を編み出したように、
私達は、たまたま出逢った断片的知識や認識をつなぎ合わせ、
これこそが真理だ、正義だ、大義だと夢想することで
かろうじて自己の精神状態の統合を図ることが出来る。
その論理展開力に秀でた人が、教祖様や偉大な政治家や
リーダーとして、従わない少数派を弾圧や洗脳や慈悲心で統合し、
コミュニティや国家を組織する。
3)修羅地獄の中で
「これこそが、最高の、唯一無二の、絶対真理だ。
この教えに背く者は、地獄に堕ちるぞ。」
などと言う教祖様や指導者に出逢ったら、
さっさと縁切りをして遠ざかりたい。
だが、そうした教祖様や強大な権力者と敵対したり、
縁切りをしては、そのコミュニティーから排除され、
生きることもままならなくなる。
面従背腹では、自分の心が貧しくなる。
好き勝手に振る舞える場面と
逃げ惑い、疲弊と絶望に打ちひしがれる場面との
織り成す修羅地獄を私達は彷徨っている。
こうした現代社会は、依然として、野獣世界である。
4)真理のかけらを生かし合って
すべての人間がそれぞれに手にできるものは、
真理のかけらに過ぎない。
どんな教祖様も偉大な指導者も、
五十歩百歩の違いに過ぎない。
互いの信念も知識も正義も壮大な教義体系も、
私達が生きていく上での補助線・仮説に過ぎない。
その理を認め合い、
互いの至らなさを、許し合い、補い合うことで、
よりマシな社会への
二歩前進三歩後退の螺旋階段的な遅々たる歩みを経て、
私達は真理への漸近線的な接近を図り得るに過ぎない。
自分の見解と異なる視点があることに気づき、
自分では認識出来ないものを学び合うことでのみ、
私達は野獣世界から
人間の世界への扉を開くことが出来る。
現代社会とは、真の人間社会への過渡期である。