異なるものを許し合い、学び合い、人間の世界への扉を開く
1)1人の人間の心中でさえ
喜怒哀楽の出来事や気候変動や心身の体調によって
異常と正常の振幅を揺れ動き、様々な状況を顕す。
功名心や自己防衛の本能に突き動かされている。
2)混乱の中で
私達は目印に成るもの、信じられるものを探さずには、
平常心を保てない。
緯度と経度の概念を編み出すことで地理学を編み出したように、
私達は、たまたま出逢った断片的知識や認識をつなぎ合わせ、
これこそが真理だ、正義だ、大義だと夢想することで
かろうじて自己の精神状態の統合を図ることが出来る。
その論理展開力に秀でた人が、教祖様や偉大な政治家や
リーダーとして、従わない少数派を弾圧や洗脳や慈悲心で統合し、
コミュニティや国家を組織する。
3)修羅地獄の中で
「これこそが、最高の、唯一無二の、絶対真理だ。
この教えに背く者は、地獄に堕ちるぞ。」
などと言う教祖様や指導者に出逢ったら、
さっさと縁切りをして遠ざかりたい。
だが、そうした教祖様や強大な権力者と敵対したり、
縁切りをしては、そのコミュニティーから排除され、
生きることもままならなくなる。
面従背腹では、自分の心が貧しくなる。
好き勝手に振る舞える場面と
逃げ惑い、疲弊と絶望に打ちひしがれる場面との
織り成す修羅地獄を私達は彷徨っている。
こうした現代社会は、依然として、野獣世界である。
4)真理のかけらを生かし合って
すべての人間がそれぞれに手にできるものは、
真理のかけらに過ぎない。
どんな教祖様も偉大な指導者も、
五十歩百歩の違いに過ぎない。
互いの信念も知識も正義も壮大な教義体系も、
私達が生きていく上での補助線・仮説に過ぎない。
その理を認め合い、
互いの至らなさを、許し合い、補い合うことで、
よりマシな社会への
二歩前進三歩後退の螺旋階段的な遅々たる歩みを経て、
私達は真理への漸近線的な接近を図り得るに過ぎない。
自分の見解と異なる視点があることに気づき、
自分では認識出来ないものを学び合うことでのみ、
私達は野獣世界から
人間の世界への扉を開くことが出来る。
現代社会とは、真の人間社会への過渡期である。