生き残り競争時代からの卒業

「遠いところをすまないね。」一人暮らしの父の口癖。
週一、夕食と朝食を共にできることは、たぶん、幸せな部類だと思う。

大都会に暮らす子供と田舎の老親、遠隔地介護25歳の時、「全国を転勤して回っていては、将来、親を看ることができない。なんとか実家に近い場で生計を立てる方策を探そう。」そして、働きながら畑違いの国家試験合格と自立を目指した。「孝行したい時は親は無しと言うもんだ」と父は言っていた。

「戦後70余年、豊かさを求めて私達日本は、産業構造変化に対応するために労働の流動化を図ってきた。」貧困の農村から都会へ、炭鉱閉山地域から都会へ、正規雇用から非正規雇用へ。社会変動の波を主導的に惹き起こすことで儲ける目先の利く人と波に翻弄され、押し流れる多くの人々がいる。

相対的貧困率16.1%、2053万人(2012年)
生活保護受給者216万人 (2013年)
生活保護の捕捉率4.9% (1990年)

世界第3位の経済大国、先進国として100年を超える日本。もうそろそろ、私達は生き残り競争の時代を卒業しよう。自分がいかに秀でるかを生き甲斐とする時期から、周りの多くの人々が自律的に主体的に生き合うことに貢献する生き方を生き甲斐としよう。人間は本来類的存在であることを見据えよう。個と類との相互の調和的関係性を産み出そう。そうした理性の時代を私達は切り拓きつつあると思う。