3千余通の経営所見を書き続けて思うこと

施設を揃えて2割、

資金を用意して1割、

集客できる業態を編み出して4割、

現場を任せられるスタッフを

育て導く人心掌握リーダーシップ力3割

 

経営者に必要な資質

「自分なら、人・物・金・ノウハウのハーモニーを奏でることができる。」との満々たる野心と自信、

リスクを 取ることができる責任感、

より良い商品・サービス・職場環境を世の中に地域に届けたいという使命感

経営指針・共同求人・社員教育の経営実践交流

一人ひとりが自己実現と自利を追求する自由競争の中で、産業社会は発展し、諸個人は自由な幸せを実現できるという仮説に身を投じて、自社の生き残り競争に邁進するだけで、生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる社会をつくる地域リーダーとしての経営者の使命を果たすことができるだろうか?
急速な産業社会変動が産み出す様々な社会経済問題と地域崩壊の波に翻弄され、有効な具体策を求めてもがいている中小企業経営家の日々の現実がある。
その悪戦苦闘している中小企業家だからこそ、よい会社、よい経営者、よい経営環境の3つの実現を共に目指す自覚的自主的な経営者の具体的な実践交流に魅かれる。
地域と産業を支えている中小企業、生きる、暮らしを守る、人間らしく生きる社会をつくる使命を担っているのが企業家である。
その使命・役割を果たすために「強靭な企業づくり」が必要である。利益を蓄えるために社員を上手く使うノウハウ研修や経営者個人の心の修養論を超えて、経営指針・共同求人・社員教育の三位一体の各社での具体的な経営実践交流を進めよう。

生き残り競争時代からの卒業

「遠いところをすまないね。」一人暮らしの父の口癖。
週一、夕食と朝食を共にできることは、たぶん、幸せな部類だと思う。

大都会に暮らす子供と田舎の老親、遠隔地介護25歳の時、「全国を転勤して回っていては、将来、親を看ることができない。なんとか実家に近い場で生計を立てる方策を探そう。」そして、働きながら畑違いの国家試験合格と自立を目指した。「孝行したい時は親は無しと言うもんだ」と父は言っていた。

「戦後70余年、豊かさを求めて私達日本は、産業構造変化に対応するために労働の流動化を図ってきた。」貧困の農村から都会へ、炭鉱閉山地域から都会へ、正規雇用から非正規雇用へ。社会変動の波を主導的に惹き起こすことで儲ける目先の利く人と波に翻弄され、押し流れる多くの人々がいる。

相対的貧困率16.1%、2053万人(2012年)
生活保護受給者216万人 (2013年)
生活保護の捕捉率4.9% (1990年)

世界第3位の経済大国、先進国として100年を超える日本。もうそろそろ、私達は生き残り競争の時代を卒業しよう。自分がいかに秀でるかを生き甲斐とする時期から、周りの多くの人々が自律的に主体的に生き合うことに貢献する生き方を生き甲斐としよう。人間は本来類的存在であることを見据えよう。個と類との相互の調和的関係性を産み出そう。そうした理性の時代を私達は切り拓きつつあると思う。

「より早く、より高く、より強く」のスローガン

「より早く、より高く、より強く」のスローガン

それは、自己実現競争至上主義時代のマイルストーン

 

いろいろな問題を挙げつらい、批判に明け暮れる時期もある

それは、様々な物事に翻弄され、ままならない煩悩に苛まれる哀しみ

 

およそ、あらゆるものは変化し続け、次々に新しい問題が出現し続ける

そうした様々な課題を価値に転換できるしなやかな叡智を

育むために私達は命を与えられた

 

自分の苦しみに終始する日々を過ぎ去り、

「この人と居ると私は元気に成れそうな気がしてくる」と

周りの人々の心の中にみずみずしさが湧き出すような触媒として生きる

互いの多彩な可能性を育み合う時代を切り拓くことを生き甲斐とする

そうした生き方を多くの人々が価値と思う時代の扉が開かれつつある。

ドッグトレーナーに教えを乞う。

ドッグトレーナーに教えを乞う。

「右手にリードをしっかり持って、左手はリードに軽く上から添える。

常に飼い主の左足に沿わせ、リードは緩ませ、左手を上から軽く添える。

飼い主よりも前に出ようとしたり、道路の左右を嗅ぎ回ろうとした時も、

瞬時に左手でリードを上後ろに引き、飼い主の後ろに沿わせる。

停まったら、アイコンタクトを取って、左手を犬の顔から頭を経て後ろに

回して大きな声でお座りと指示して、座らせる。

座ったら、アイコンタクトを取って、即、大きな声で褒める。

2秒後に褒めては遅すぎます。何を制止され、何を褒められたのか、

わからないので、混乱させます。」

わずか、20分後には、引っ張り癖と嗅ぎ回り癖が潜め、トレーナーの

左足に沿って、うろうろすることなく、真っ直ぐ歩き出した。

 

「躾けをしたことがないの」という妻の老親から10歳の犬をひきとって45日、散歩を迫り泣き、飛びつき、散歩では下ばかり見て嗅ぎ回り、好き勝手ばかりの犬だった。本当に、多くの気づきと至らなさを痛感させられました。

 

この45日、私はなんて愚かな飼い主だったのだろう。

犬の好き勝手に振り回され、先へ先へと飛んで行こうとする犬を後ろから引っ張り抑えるだけでした。散歩中の犬は首を後ろから引っ張られる。マーキング場所をひたすら探してうろうろと嗅ぎ回るために、行き交う車も人も目に入らず、危険極まりないただの野良犬状態だった。

働き甲斐と生き甲斐について(5)

6. これからますます社会崩壊が進む恐れがあるからこそ

地球の緯度の差異と地理学的文化人類学的な差異と天然資源分布の差異に基づき、諸国民はそれぞれの国民経済を歴史的に形成してきました。

こうした国民経済の差異に対して、経済活動は本質的に国境を超えて発展します。現代から向こう50年先まで、グローバリズムとローカリズムの相克は激化を深めるでしょう。

7. これからの時代を切り拓く会社経営の在り方を思う

厳しい経営環境下では、全社一丸の会社をつくらねばなりません。鉄の規律で統制された精鋭集団をつくる必要があると考えがちです。

確かに、私達、人間はあたかも一本の木に咲く花・葉・幹・根のような役割機能分担を果たすことで、給与や報酬といった生活の糧を与えられます。私達個人は生まれ育ち社会生活を終えると、役割を果たした枯葉のようにやがて土に戻る存在です。私達は、私と相手、私と家族、個人と組織、個人と社会とが、互いが互いを織り成す複合的な関係性の産物であり、社会的な分業と協業の恩恵の下に収入を得て社会生活の基盤を与えられ、各個人の生活が成り立っています。従って、団結を乱す不平不満分子はこの際、退職してもらいたいという思いを経営者は持ちがちです。

しかしながら、そうした戦前の家長制度的・集団主義的・ファシズム的な思考パターンでは、現代の個人尊重主義で育ってきた若者は、反感とサボタージュをもって抵抗しますので、上手くは行かないでしょう。

個と全体との相互関係性を認識し、愚痴や経営者側からの説教ではなく、社員とのより良い関係性を構築するために、各社員の自発的な目覚めを促すために、自分は何を為すべきかを考え行動できる経営者自身のリーダーシップが問われています。ここに取り組むことが、これからの企業経営者の使命であると私には思われます。

(了)

働き甲斐と生き甲斐について(4)

4. 家族の中で、働く喜びを語り合える家庭をつくりたい

働く中での自己実現の喜びを親子で対話できる関係性を構築したいのです。そのためには、親の側が、働く中での自己実現の喜びについて、きちんとした哲学を確立しておくことが必要であると思います。

私達の会社の社員さん達が、働く中での自己実現の喜びを、自分の言葉で、それぞれの子供達に語れるような職場をつくりましょう。周りの人々の役に立っている実感、周りの人々から支えてもらって生きている実感、周りの人々と共に生き合っている実感を、日々感じられる中で生き合うことが人間の幸せであると思うのです。普通のありふれた仕事、地道な、まるで食うためだけに働いているに過ぎないと思われる職業に就いているとしても、その仕事がどのように人々の役に立っているかを生き生きと子供に語れる私達でありたいと思うのです。働く中での自己実現の喜びを自信を持って語れる哲学的、社会学的な力量を私達は養いたいと思うのです。

5. 働くことの価値についての考え方が、社会崩壊から私達を救い出す

価値観の多様性を認め合うことがこれからの人類の普遍的価値に成りつつある現代では、特定の思想・宗教・倫理の普及高揚運動では、世の中をよくしていくことは不可能です。価値観の多様化を認め合う現代においては、頭の中と文章と論争で優劣を競い合う思想・宗教・倫理では人々の合意形成は不可能です。

異なる価値観の人々が、等しく合意できる共通の基盤は、職業を通して役立ち合うことで、世の中と各人の暮らしが成り立っているという事実です。すべての人々が、「自分が食えれば良い。」というレベルを超えて、自分の仕事の社会的価値を問い、より良いものに改善していくことで、人類社会はより良いものに進化して行くと思われます。

(つづく)

働き甲斐と生き甲斐について(3)

  1. 働き甲斐を実感できる職場に恵まれる幸せ

冒頭で述べたの「なんとか仕事にありつきたいというケース」で働いている人々が世の中の大半でしょう。とすれば、そうした普通の人々の幸せは、どうやって実現できるのでしょうか?

私は、企業経営者こそが、そうした幸せをこの地上にもたらすことができると思うのです。

働いている社員が、働く中での自己実現の喜びについて、自分の言葉で活き活きと語り合える、実感できる職場が与えられならば、その幸せには大きなものがあると思うのです。

「みんなが知らない、小さな会社で俺は働いているけれど、俺の働いている会社には、素晴らしい社長がいるんだよ。俺は、小中高、成績もスポーツもぱっとしなくて、一度も褒められたことはなかった。そんな俺がいつの間にか仕事を出来るように育ててくれて、自分でも気づかなかったものを引き出して、誉めてくれる。だから、この社長のためなら、頑張りたいと思えるんだ。なんてことのない仕事だけれど、お客様が困っていたことを解決することに役立った時にとても感謝してもらえたんだ。自分もいい仕事しているんだなぁと嬉しくなったよ。」と胸を張って、にこにこと自己紹介するような社員が、たくさん育つならば、それはその経営者の喜びとなり、その経営者の幸せにつながると思うのです。

自社の社員がその社員の日常の生活感覚で自分の役割に自信と誇りをもって就業できる職場をつくる。働く中での自己実現の喜びについて、社長と幹部社員と一般社員が具体的に実感し合う、共有し合える職場を豊かに創り出せるならば、その経営者は、偉い宗教家・教育者・政治家よりも、はるかに素晴らしい尊い人生を生きていると私は思うのです。

(つづく)

働き甲斐と生き甲斐について(2)

2. 戦後の経済社会構造の激変と個人尊重の考え方に流されて

「あなたの好きなことをすれば良いんだよ。郷里に居る必要もないよ。あなたが興味の持てる、好きな仕事に就きなさい。そのために、パパとママは応援するよ。」と言って、現代の親は子育てをしています。

はたして、それで子供は本当に幸せに成れるのでしょうか? 物わかりの良い同意に留まって良いのでしょうか? 人間の幸せとは、他の人を出し抜き、他の人よりも高所得を得て、名声を得る事でしょうか?

数千人に1人の才覚に恵まれた子供ならば、確かにそれで才能を全面開花できるでしょう。

しかしながら、普通の人にはそうした競争至上主義の自己実現は不可能です。競争至上主義の考え方では、普通の人々は幸せと縁遠い生涯を送るしかなくなります。

中学や高校の同窓会に出席した子供が、一流企業や官公庁に就職した友達から、「君はどこなの?」と尋ねられて、「いや、たいしたとこではないから、いいよ。」と言葉を濁し、同窓会に行きたがらないこともあるでしょう。

(つづく)

働き甲斐と生き甲斐について(1)

1. 職業選択に関する4つのケース

「私は、なぜ、この職に就いているのだろうか? 私はここに居て良いのだろか?」人は、ふとした時に自問自答したり、行き詰った時には転職を考えたりします。そうしたときの考え方の整理をしてみました。職業選択には、4つのケースが有ると思われます。

 

① 才覚に恵まれているケース

「ある方面の才覚に恵まれている気がする。この才覚をぜひとも開花させたい。」と、本人も回りも思えるような出来事が明らかになってきたとき、その方向への転身を皆が支援してくれます。

 

② 本人が何らかの興味と関心を寄せている分野がある場合

それほどでもない場合がほとんどですから、天与の才覚とまでは言えないが、本人の興味と関心があってともかくその分野での可能性を探ってみたい、やってみたいというケース

 

③ 親の跡継ぎをすることで親子の意見が一致しているケース

 

④ なんとか仕事にありつきたいというケース

特にやりたい仕事も伸ばしたい才覚もないけれど、なんとか生涯設計をしなければならないケースです。職種は何でも良いので、安定的な生涯設計を出来そうな公務員にともかくなれるものなら、成りたい。

待遇の良い、潰れそうにない大企業に就職したい。仕事はハードでも、金を稼げそうな会社に就職したい。あるいは、給与は少なくても、あまり大変でない会社に就職したい。とかいった思考をするケースが、ほとんどでしょう。

 

(つづく)